山椒大夫・高瀬舟・阿部一族 (角川文庫) (2012/06/22) 森 鴎外 商品詳細を見る |
書評復帰 第一作!は、初心に帰って名作文学の王道を選びました。
わたしが手にしたのは角川文庫の『山椒大夫・高瀬舟・阿部一族』です。
昨夏の文庫フェアで、鮮やかな手ぬぐいの和模様のカバーが書店で目立っていました。
『山椒大夫』は、子供用に平易に直した本を小学生のころに読みました。
子供向けの古今東西名作全集みたいなのの中の一冊でしたね。
今もあるのかな?そういうの。
タイトルは『安寿(あんじゅ)と厨子王(ずしおう)』でした。
表紙の色やイラスト、挿絵とか、よ~く、覚えています。
なぜそんなに記憶が鮮明なのかというと…?
「なんで、弟のために姉が死ななくちゃいけないのっ」
と、当時のワタシは激しく憤慨し、強い印象が残ったもので。(弟がふたりいる長女です)
愚かすぎて涙が出そう…。
それ以来ですから、今回は再読…ではなくて、初読になるのかな?
鷗外の作品そのものを読むのは初めてなので。
TRCブックポータルに投稿したブックレビューです。
文豪・森鴎外の代表作『山椒大夫』が執筆されたのは大正4年(1915)、今から一世紀近く前です。
中世の語り物である説教節『さんせう大夫』がもとになってはいますが、著者が肉づけし作り上げた短編小説です。
消息を絶った父親の行方を尋ねて、14歳の安寿と12歳の厨子王は母親と旅に出ます。
道中、人買いに捕われた姉弟は、母親と生き別れとなり、山椒大夫のもとに売られて、働くことになります。
疲れを知られまいと快活に歩く安寿の姿、橋のたもとで野宿せざるをえない状況さえ面白がる厨子王の少年らしいしぐさ、妙に親切な船頭(実は人買い)を怪しみつつも断りきれない母親の揺れる心のうち、など、丁寧で行き届いた描写が穏やかな美しいことばで語られ、安心感を持って読み進めることができます。
ある夜、逃げ出す相談を聞かれて咎められ、不安な心持ちで床についたふたりは、ひどい折檻を受ける夢を同時にみます。
そして、この出来事以後、物語も著者の語り口も急転回します。
「日の暮に帰ると、これまでは弟の山から帰るのを待ち受けて、長い話をしたのに、今はこんな時にも詞(ことば)少にしている。(中略)厨子王は互いに慰めもし、慰められもした一人の姉が、変った様子をするのを見て、際限なくつらく思う心を、誰に打ち明けて話すこともできない」(31頁)
安寿が物を言わなくなったと同時に、著者も語らなくなります。これまでのような詳しい描写がほとんど見当たらなくなってしまいます。
厨子王の寄る辺ない孤独感、置き去りにされたような不安感は、そのまま読者のものとなります。
その後、安寿に諭された厨子王は、ひとり山椒大夫のもとを逃れ、都に出て立身します。
このあたりになると、事実だけが淡々と連なるのみで、もはや著者は物語の進行に興味を失ったかのようでさえあります。
感動的な結末さえ、あまりにそっけなく、読後もいぶかしい思いがもやもやと残ります。
著者が語らなかった、抜け落ちている箇所を、どうしても考えずにはいられません。
「姉えさんのきょう仰ゃる事は、まるで神様か仏様が仰ゃるようです。わたしは考を極めました。なんでも姉えさんの仰ゃる通にします」(40頁)
安寿はもう子供ではありませんでした。しかし、まだ大人でもありません。
大人になりかかっている少女の心は、激しいほどに純粋で一途です。
神か仏が宿るように見えた瞬間があってもおかしくありません。
自分たちをこのような過酷な運命たらしめた罪深い大人たち、人買いや山椒大夫とその家族、奴頭たちへの憎悪が安寿のなかに音もなく静かに広がっていったのではないでしょうか。もしかしたら、女子供だけで無謀な旅に出た母親や、何よりその元凶を作った父親への複雑な思いもあったかもしれません。
また、自分が犠牲になることで弟を救け、あまつさえ家族の名誉も挽回するのだと、悲劇のヒロインになる自分に恍惚としたかもしれません。
春先のまだ冷たい沼の水が素足を刺しても、水を飲んで苦しみ意識を失いかけた瞬間も、安寿の強い気持ちはびくともしなかったのです。
どのような思いを秘めていたにせよ、その行為の尊さは変わりません。
安寿は大人になることを拒否することで、運命に復讐を果たしたのではないでしょうか。
断片的な事実からあれこれ思いをめぐらせて推理する、これは答のないミステリー小説のようなものです。
読み終えた時点がスタートです。
このような豊かな読書の喜びを与えてくれる本書は、まさに「名作」と言えるでしょう。
(2013.01.22投稿 1465字)
「どこまで深読みできるか、挑戦!」みたいなレビューになってしまいました。
もっと素直になろうよ、ワタシ。
最初に子供向け山椒大夫を読んだことを書きましたが、一番心に残っていたのは「安寿の履物だけが沼のほとりに残っている挿絵」でした。
このレビューが、履物の傍に供えるお花の代わりになれたらいいなと思います。
レビューとブログを書いている間、頭の中で谷山浩子『冷たい水の中をきみと歩いていく』(1990.02)が大音量で流れてました。
って、誰も知らないか…。
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