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名作文学いらっしゃいまし
日本の名作文学を楽しむブログです。                                                                                                                                    お江戸本と美術本のレビューも増殖中。
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志賀直哉『小僧の神様 他十篇』(岩波書店・2002.10・初出1912~1920)
夫と近所を歩いていたら、アパートの通路の手すりに瓢箪(ひょうたん)がたくさん吊るされているのを見かけました。いまどき珍しい風景!
それを見た夫が『清兵衛と瓢箪』っていう小説が教科書に載ってたな、と言い出したのが今回この短編集を読んだきっかけです。

以下、ビーケーワンに投稿した書評です。


 明治45年(1912年)から大正9年(1920年)に発表された短編集だ。
ときに「小説の神様」が、まだ「新進作家」だったころである。
私小説・心境小説(自分を主人公に私生活をあからさまに描く)と客観小説(普通の創作)がほぼ半分ずつ。短編の代表作と言われるものがほぼ入っている。プロレタリア文学風あり、ユーモア時代小説ありと豊富なバラエティだ。

 他人の家の中を覗き見るようで好みではない、と思っていた私小説だが、今回読み直して案外と楽しめた。
例えば『好人物の夫婦』である。
旅行に出たがる夫とその間の女性関係を心配する妻、妊娠したらしい女中の相手が夫ではないかと疑う妻、そして、その妻の気持ちを思いやる夫。ほとんど夫婦の会話で進行する。
ひとつ間違えれば暗い悲劇に進みそうな題材だが、意外にも、ほんわりした結末になるところが面白い。

 『清兵衛と瓢箪』は三人称の客観小説だ。
著者と父親との確執がベースにあるらしいが、それは知らなくても(知らない方が?)楽しめる。
なぜか「瓢箪作り」という渋い趣味にハマった清兵衛少年は、勉学そっちのけでいくつも丹精するが父親は苦々しく見ている。授業中に瓢箪を磨いていたところを教師に見つかり、父親にもひどく叱られて、瓢箪趣味は続けられなくなる。教師は清兵衛の瓢箪を「捨てるように」学校の老小使にやるが、それを骨董屋が鑑定してみたら……。そして、清兵衛はもう瓢箪のことは忘れて、今は絵を描くのに夢中になっている……。
書かれていることは事実だけだが、行間や余白が雄弁に物語る。

 共通するのは、湿度の低いドライな短文でたたみかける作風と文法上の破綻がない整然としたところだ。
教科書や問題集、入試問題によく使われるのもうなずける。
文豪には嫌われるという記号類、( )や――、?、! が頻出するのは新鮮な印象だ。

 「行間を読む」ということばがあるが、志賀直哉の作品は誰もがほぼ間違いなく行間を読めるようになっている。だが、幾通りもの解釈が可能なわけではない。想像が無限に膨らむものでもない。深読みは受け付けない、解釈はいつもただひとつ、だからこそ試験問題になるのだろう。
そこがいいのか、悪いのか、現代の読者には悩ましい。

志賀直哉、サッパリとドライな小気味よさが、梅雨時や蒸し暑い夏場の読書に向いている、と言えようか。

(2011・06・28 ビーケーワン投稿 985字)


短編集全体(主に2作品に絞ってはいますが)の書評ということで、800字オーバーのまま投稿してしまいました。自分に甘いな!

志賀直哉、やっぱり文章のキレは素晴らしい!とあらためて感じ入りました。
ただ、書かれている内容は……(かなり)好き嫌いが別れるところでしょう。
女中さんの失態をネチネチ書いている一編は、ちょっとね、わたしも……イヤだった。
勤めたくないですね~、こういうご主人のいる家。

志賀直哉には『暗夜行路』という大作があるわけですが、読んだものか、ちょっと悩んでいます。
ほかの名作読みながら、ゆっくり考えましょうかね。




 
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伊藤左千夫『野菊の墓』(SDP・2008.09・初出1906)

小説に出てくる「矢切の渡し」は、東京都と千葉県の境を流れる江戸川に今も残っています。
著者、伊藤左千夫の出身地でもあるこの地。
地図を見ると今やすっかり住宅地になったようです。
小説に描かれた、みずみずしい自然の面影は……残っているでしょうか。

以下、ビーケーワンに投稿した書評です。


 アイドル主演の映画やドラマの原作で、型通りの悲恋物語、というイメージだった。だが、100年読み継がれている「名作」なのである。やはり、持っていた!

 兄弟のように育った、15歳の政夫と17歳の民子(数え年なので実際は13歳と15歳)はいとこ同士で大の仲良しだ。年頃になっても一緒に語らい戯れ合いたいが、周囲はそれを許さない。いとこ同士の関係はまだしも、女性が2歳年上のカップルはあり得なかった時代だ。中傷され、ふたりはかえってお互いを意識し、恋へと発展していくが……。

 この小説の魅力のひとつは、ごく身近な自然描写の美しさだろう。
田んぼの脇に咲くとりどりの野草の控えめな佇まい、露をはらんで打ち伏した晩稲のつややかさ、薄絹を曳き渡したような蕎麦畑の白い花、仕事帰りに夕日に手を合わせる敬虔な心。
自然を敬い、その一部となって生きる人々の静かな営みがすがすがしく好ましい。

 そして自然を語るのと同じ優しさをもって、民子の可憐な表情が細やかな表現で描かれる。
政夫と語らうときのはつらつと嬉しそうな民子、しょんぼりと膝の上で襷をこねくりうつむく民子、別れの朝に涙を見られまいと体を脇にそらす民子。
政夫ならずとも、民子を愛さずにはいられない。

 ふたりの会話、共有する沈黙、しぐさから、互いが唯一無二の相手であることが信じられる。
若さゆえに迷った一時的な盛り上がりではない。永劫の幸せを約束するつながりだということが読み切れる。

 一気に悲劇的結末へと畳みかける終盤はもう、たまらない。しばらくはタオルが離せなかった。ウカツに読み始めたことを反省する。

 「そうですねイ(略)」「民さんは山へ来たら大変だだッ児になりましたネー。(略)」といった、言文一致体完成途上のかな使いがキュート!『野菊の墓』の世界観にぴったりくる。これは今後もこのまま直さないで欲しい。

(2011.06.27 ビーケーワン投稿 789字)


まったくウカツでした!電車の中で読んだりしなくて本当によかった~。
終盤は「泣かせよう」という意図が見えて、ややくどい気がしますが、それでも術中にはまってしまいます。

一緒になれないなら生きることを諦めるほどの、それほどの想いをかける相手がいたこと、は幸せだったのでしょうか?それとも、そこまでの相手にめぐり会ってしまったことはやっぱり悲劇なのでしょうか?
しばし、考えてしまいました。 




 
熊田忠雄『拙者は食えん!サムライ洋食事始』(新潮社・2011.04)

「洋食」と聞いて思い浮かべるのは、ハンバーグ、カレー、シチュー、グラタンなどなど。
でも、それは日本流にアレンジした洋食なんですよね。
サムライたちが口にしたのはアレンジなしの本場ものだったわけで……。
それは大変だったろうな、とあらためて思います。

以下、ビーケーワンに投稿した書評です。


 「初めて口にした洋食の美味しさが忘れられない!」よき食の思い出として耳にするセリフだ。世代による違いはあるにせよ、21世紀に生きる日本人で、洋食をまるで受けつけない人はいないだろう。
同じ日本人、サムライ洋食事始は案外スムーズだったのではと思ったが……。

 開国(1860年)から明治維新までの8年間で、約400名が米国・欧州へ派遣された。維新前なので、全員身分は武士=サムライである。サムライと洋食との「出会い」が、主に書き残された日記からたどられてゆく。

 洋食に対し、彼らが想像以上の激しい拒絶と嫌悪感を示したことに驚いた。幸せな出会いをした者は一人もいない。日記には「食する事不能」「味極て口に適わず」と悲痛なことばが並ぶ。
米や野菜、魚をしょう油や味噌、塩で食べてきた「草食系」にとって、肉食とバターや脂の匂いは想像を絶する異文化への入り口だったのだ。空腹なのに目の前のごちそうを食べられない悲劇、が起きる。サムライ、洋食相手にまさかの討死? とハラハラする。
だが、食べないわけにはいかない。だんだん慣れて洋食の味をしめる者と、最後まで馴染めず恨み言を言い続ける者に二分される様子は面白い。

 1864年の遣仏使節団の一員、岩松太郎は、当初こそ断固拒否の姿勢を示したが、帰国間際には洋食にすっかり馴染んでいた。料理の良し悪しを詳細に日記に書き残していたという。ミシュランもびっくりだろう。
著者が「お前さん、西洋料理の味の違いが本当に分かっているのかい?」と愛情たっぷりの突っ込みを入れているのが楽しい。

 現在の日本には、世界各国の食があふれる。わずか150年で食文化は激変した。
サムライが恋しがった日本の伝統食は、めっきり食卓に上らなくなった。逆に、米国・欧州ではヘルシーな食事として注目されている。
彼らはこの皮肉な現状をどう思うだろうか。

(2011.06.25 ビーケーワン投稿 795字)


「食べられなくて死んじゃう人いないだろうね……?」途中、ホントに心配になりました。
逆にサムライの人気を集めたのは、果物とシャンパンだったそう。
果物はなんとなくわかりますが、シャンパンはなぜでしょうね?




 
中島京子『FUTON』(講談社文庫・2007.04・初出2003.04)

先が気になって気になって、久しぶりに読み終わるまでは眠れない小説でした!
中島京子、直木賞作家とは知っていましたが、これがデビュー作なんてスゴイなあ。
大らかに見えて、実はスキのない緻密さ、律儀さがステキ。
「蒲団の打ち直し」っていうタイトルが、もう、抜群にうまい!

以下、ビーケーワンに投稿した書評です。


 田山花袋の明治の『蒲団』と中島京子の平成の『FUTON』を揃えた。
まず『蒲団』を読了し、たくさんの「?」を抱えながら『FUTON』に掛かる。

 実は中島京子作品は初めてだ。ヒヤヒヤしながら読み始める。
1ページ目半ばで、早くもアタマの中にOKサインが出た。読み進むほどに安心感が増す。

 メインストーリーは『蒲団』を連想させる内容だ。そこに「蒲団の打ち直し」なる小説内小説が織り込まれる。
主人公は日本文学専門のアメリカ人教授という変わり種。授業や講演会という形で自然に『蒲団』の解説が入るのは嬉しい。

 著者のものがたりは巧みだ。何でもない日常が著者の手にかかると、とびきりの非日常に化ける。

 95歳の老人ウメキチは繰り返し同じ夢を見る。毎度同じセリフで、あいまいに途切れる。途中、うっかり退屈しかけた。だが「果てしない繰り返し」「あいまいさ」こそが95歳の脳内そのものだ、と思い当り背筋がひんやりした。

 「蒲団の打ち直し」部分はさらに見事である。読むごとにパズルのピースが「くっ」とはめ込まれる爽快感がたまらない。
「そう、そう思った!」「あ、それは気がつかなかった!」「そこまで想像の羽を広げるの?」などと一人ごちながら、実に楽しく読んだ。

 最終盤で主人公は、友人になぜ花袋の『蒲団』が好きなのか?と問われる。
その答えは……ああ、このセリフを日本男子が発するわけにはいくまいよ、主人公は中年アメリカ人男性しかなりえないのだ!と一気に腑に落ちた。

 読後感がまた素晴らしい。それは充分に干した蒲団にくるまれたような安堵感だ。
人がみな愛おしく思え、明日が少し待ち遠しくなる。

 『蒲団』と『FUTON』を同時に読める、21世紀に生きる幸せを心からかみしめる。
ぜひ、2冊セット販売して欲しい!付録は、ミニチュア蒲団、またはリボンで!(注;付録は選べません)

(2011.06.20 ビーケーワン投稿 794字)
 

これも二倍以上あったのを、死ぬ思いで800字以内にしました……(大汗)
ウメキチの夢、引用したかったのですが泣く泣く諦めました。

読み終わってから、もう一度花袋版『蒲団』を読み返して大いに楽しみました♪
「蒲団の打ち直し」もう最高!
妻・美穂と若い女弟子・芳子の対決場面は大迫力です!
また、『蒲団』では語られない主人公と妻の「夫婦間の齟齬のようなこと」を見出すあたりに著者の洞察の鋭さを感じました。

それにしても……私小説だ、自然主義だ、〇〇派とか、小説自体の面白さとはまったく関係ないですね。
文学史や作品背景を学ぶことが、逆に作品を純粋に楽しむ足枷になるケースがあるのは残念。
発表された当時は「本邦初の試み!」とか「先鋭的!」とか、もてはやされた作品であっても、今読んで面白くなければ、もう、どうしようもない。逆のケースもあるでしょう。
50年、100年たっても文庫に残っていて読み継がれている作品は、なにかしら「持っている!」のでしょうね。
そこを探し当てられるようになりたいです!




 
樋口一葉『たけくらべ・にごりえ』(校註:岡田 八千代・角川書店・1968.07・初出 1895)

今回は800字以内のマイ・ルールを守ろうと必死でがんばりました。
結果、今までで最も時間がかかり、目はしょぼしょぼ、頭もモウロウとした状態に。翌日は両腕筋肉痛だし。
なんせ、最初は思いつくままに、だらだら2000字以上も書いてしまって、そこから削るのが大変で大変で。
文字通り、身を削る思い……。
字数が少ない方が時間はかかるという矛盾。
多くの方が指摘されていますが身を持って経験しました(汗)

以下、ビーケーワンに投稿した書評です。


 予備知識なく本を開いて驚いた。ページが文字でびっしりだ。読点「、」のみでつらつらと続く文語体である。一瞬たじろいだが、大丈夫、心配ない。慣れれば独特のテンポが心地よくなる。

 銘酒屋の酌婦お力と、彼女に入れあげて身代を潰した源七の妻、お初。ふたりの女性の心の闇を丹念に掘り出した『にごりえ』について書く。

 若く美しいお力は店のナンバーワンで、表向きは明るく屈託なく振る舞っている。だが内心では、不幸な生い立ちを悲嘆し、前途なき現状に絶望が渦巻いていた。それでも胸の内を話せる相手も現れ、将来へのかすかな希望が芽生えて心は揺れる。悩みまどう女性の心情は今と変わらない。

 一方、お初の闇は現実そのものだ。貧乏のどん底に落ち込み、髪を振り乱して内職に励む毎日。夫に恨み言をあびせ、お力を憎む。彼岸に長屋中で餅や団子をやり取りするなか、貧しいため仲間外れにされるエピソードが印象的だ。やはり、このころ貧しかった一葉の体験からきたのだろうか。

 対照的なふたりの闇、その強大な負のパワーに突き動かされ物語は破滅へと進む。

 ある夜、強い絶望感に襲われたお力は、店を飛び出し街をさまよう。そのシーンは3D&サラウンド映画を観るようで圧巻だ。
 「行きかよう人の顔小さく小さく擦れ違ふ人の顔さへも遥とほくに見るやうに思われて、我が踏む土のみ一丈も上にあがり居る如く、がやがやといふ声は聞ゆれど井の底に物を落したる如き響きに聞なされて」(103頁)
なんと巧みな、そして凄みのある描写だろう!お力の孤独の深さがひりひりとした実感をもって迫りくる。一葉の魂そのものが投げかけられたような、灼熱。受けとめきれず、壁の一点を見つめて、しばし、ぼう然となった。

 運命に従うしかなかった女性たちの心の闇は底知れない。それは自らをお力やお初に重ね合わせた、一葉の心の叫びなのか。

(2011.06.20 ビーケーワン投稿 785字)


これまでの、わたしの樋口一葉のイメージはオンリー『たけくらべ』。
薄幸な文学少女風の女性でした。
彼女がそれだけのひとなら、こんな凄みのある心の闇を描けるはずはない。
樋口一葉のことをもっと知りたくなりました。




 

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導在 あわい

Author:導在 あわい
ドーザイ アワイ と申します。
ワケあって時間がたっぷり。いつかは読みたいと願っていた名作の数々…いますぐ、読むことにしました!
名作以外もどしどし読む予定。
楽しい読書録を目指します。

日本の名作 (20)
古典 (3)
明治の名作 (5)
大正の名作 (3)
昭和の名作 (8)
平成の名作 (1)
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そのほか (6)
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TRCブックポータルに書評を投稿しています(2013.01~)。
ハンドルネームは*導在あわい*です。
「TRCブックポータル」は2016.03をもって運営終了されました。

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また、2012.12までの書評は書籍と電子書籍のハイブリッド書店【honto】(旧;オンライン書店ビーケーワン)でも閲覧可能です。
当時のハンドルネームは*辰巳屋カルダモン*です。
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書評の鉄人*に選ばれました。
bk1-00232(2011.08.19付)
* 第297回 書評の鉄人列伝 で紹介されました(2011.09.30付)。

自分なりのルールを考えました。
こちらをご覧ください!


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