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名作文学いらっしゃいまし
日本の名作文学を楽しむブログです。                                                                                                                                    お江戸本と美術本のレビューも増殖中。
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伊藤左千夫『野菊の墓』(SDP・2008.09・初出1906)

小説に出てくる「矢切の渡し」は、東京都と千葉県の境を流れる江戸川に今も残っています。
著者、伊藤左千夫の出身地でもあるこの地。
地図を見ると今やすっかり住宅地になったようです。
小説に描かれた、みずみずしい自然の面影は……残っているでしょうか。

以下、ビーケーワンに投稿した書評です。


 アイドル主演の映画やドラマの原作で、型通りの悲恋物語、というイメージだった。だが、100年読み継がれている「名作」なのである。やはり、持っていた!

 兄弟のように育った、15歳の政夫と17歳の民子(数え年なので実際は13歳と15歳)はいとこ同士で大の仲良しだ。年頃になっても一緒に語らい戯れ合いたいが、周囲はそれを許さない。いとこ同士の関係はまだしも、女性が2歳年上のカップルはあり得なかった時代だ。中傷され、ふたりはかえってお互いを意識し、恋へと発展していくが……。

 この小説の魅力のひとつは、ごく身近な自然描写の美しさだろう。
田んぼの脇に咲くとりどりの野草の控えめな佇まい、露をはらんで打ち伏した晩稲のつややかさ、薄絹を曳き渡したような蕎麦畑の白い花、仕事帰りに夕日に手を合わせる敬虔な心。
自然を敬い、その一部となって生きる人々の静かな営みがすがすがしく好ましい。

 そして自然を語るのと同じ優しさをもって、民子の可憐な表情が細やかな表現で描かれる。
政夫と語らうときのはつらつと嬉しそうな民子、しょんぼりと膝の上で襷をこねくりうつむく民子、別れの朝に涙を見られまいと体を脇にそらす民子。
政夫ならずとも、民子を愛さずにはいられない。

 ふたりの会話、共有する沈黙、しぐさから、互いが唯一無二の相手であることが信じられる。
若さゆえに迷った一時的な盛り上がりではない。永劫の幸せを約束するつながりだということが読み切れる。

 一気に悲劇的結末へと畳みかける終盤はもう、たまらない。しばらくはタオルが離せなかった。ウカツに読み始めたことを反省する。

 「そうですねイ(略)」「民さんは山へ来たら大変だだッ児になりましたネー。(略)」といった、言文一致体完成途上のかな使いがキュート!『野菊の墓』の世界観にぴったりくる。これは今後もこのまま直さないで欲しい。

(2011.06.27 ビーケーワン投稿 789字)


まったくウカツでした!電車の中で読んだりしなくて本当によかった~。
終盤は「泣かせよう」という意図が見えて、ややくどい気がしますが、それでも術中にはまってしまいます。

一緒になれないなら生きることを諦めるほどの、それほどの想いをかける相手がいたこと、は幸せだったのでしょうか?それとも、そこまでの相手にめぐり会ってしまったことはやっぱり悲劇なのでしょうか?
しばし、考えてしまいました。 




 
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樋口一葉『たけくらべ・にごりえ』(校註:岡田 八千代・角川書店・1968.07・初出 1895)

今回は800字以内のマイ・ルールを守ろうと必死でがんばりました。
結果、今までで最も時間がかかり、目はしょぼしょぼ、頭もモウロウとした状態に。翌日は両腕筋肉痛だし。
なんせ、最初は思いつくままに、だらだら2000字以上も書いてしまって、そこから削るのが大変で大変で。
文字通り、身を削る思い……。
字数が少ない方が時間はかかるという矛盾。
多くの方が指摘されていますが身を持って経験しました(汗)

以下、ビーケーワンに投稿した書評です。


 予備知識なく本を開いて驚いた。ページが文字でびっしりだ。読点「、」のみでつらつらと続く文語体である。一瞬たじろいだが、大丈夫、心配ない。慣れれば独特のテンポが心地よくなる。

 銘酒屋の酌婦お力と、彼女に入れあげて身代を潰した源七の妻、お初。ふたりの女性の心の闇を丹念に掘り出した『にごりえ』について書く。

 若く美しいお力は店のナンバーワンで、表向きは明るく屈託なく振る舞っている。だが内心では、不幸な生い立ちを悲嘆し、前途なき現状に絶望が渦巻いていた。それでも胸の内を話せる相手も現れ、将来へのかすかな希望が芽生えて心は揺れる。悩みまどう女性の心情は今と変わらない。

 一方、お初の闇は現実そのものだ。貧乏のどん底に落ち込み、髪を振り乱して内職に励む毎日。夫に恨み言をあびせ、お力を憎む。彼岸に長屋中で餅や団子をやり取りするなか、貧しいため仲間外れにされるエピソードが印象的だ。やはり、このころ貧しかった一葉の体験からきたのだろうか。

 対照的なふたりの闇、その強大な負のパワーに突き動かされ物語は破滅へと進む。

 ある夜、強い絶望感に襲われたお力は、店を飛び出し街をさまよう。そのシーンは3D&サラウンド映画を観るようで圧巻だ。
 「行きかよう人の顔小さく小さく擦れ違ふ人の顔さへも遥とほくに見るやうに思われて、我が踏む土のみ一丈も上にあがり居る如く、がやがやといふ声は聞ゆれど井の底に物を落したる如き響きに聞なされて」(103頁)
なんと巧みな、そして凄みのある描写だろう!お力の孤独の深さがひりひりとした実感をもって迫りくる。一葉の魂そのものが投げかけられたような、灼熱。受けとめきれず、壁の一点を見つめて、しばし、ぼう然となった。

 運命に従うしかなかった女性たちの心の闇は底知れない。それは自らをお力やお初に重ね合わせた、一葉の心の叫びなのか。

(2011.06.20 ビーケーワン投稿 785字)


これまでの、わたしの樋口一葉のイメージはオンリー『たけくらべ』。
薄幸な文学少女風の女性でした。
彼女がそれだけのひとなら、こんな凄みのある心の闇を描けるはずはない。
樋口一葉のことをもっと知りたくなりました。




 

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和田 英『富岡日記』(みすず書房・2011.02・初出1908・初版1934) 

まったく知りませんでした、この『日記』のことを。
新聞の書評欄を見て、その存在を初めて知った次第です。

製糸工場の女工さんといえば『女工哀史』だと思っていましたが。
最初期に、こんな素晴らしいエピソードが眠っていたなんて!
何だか、もう、ひたすら驚くばかりです。

以下、ビーケーワンに投稿した書評です。


  明治5年(1872年)産業近代化の基幹となる、官営富岡製糸場が開業した。本書は、開業翌年に製糸工女となった当時17歳(数え年)の和田英(わだえい)の回想録である。

 国は各地で工女を募集したが、なり手は少なかったという。指導にあたる御雇外国人に、生血を吸われるの、油を搾られるの、と噂になったためである。風評被害の有様は、明治も今も変わらないようだ。
著者の父親は旧士族で、当時は地域の区長であった。誤解を解くために、まず自分の娘を工女にする。「お国のため、天下のため」の工女志願であった。

 英は、芯が強く努力家で、仕事の飲み込みが早かった。仲間のリーダー的存在となり、製糸場側からも信頼される。こうした、いきさつや製糸場内の様子、仕事の流れや日々の暮らしが、的確な表現と美しい文章で流れるように綴られる。初めて糸繰場に入った際の感激は次の通りだ。

 「私共一同は、この繰場の有様を一目見ました時の驚きはとても筆にも言葉にも尽くされません。(中略)台から柄杓、匙、朝顔二個皆真鍮、それが一点の曇りもなく金色目を射るばかり。(中略)一同は夢のごとくに思いまして、何となく恐ろしいようにも感じました。」(14頁)

 維新の勝ち組、長州の工女たちが優遇されることに怒って泣いたり、御雇外国人の妻のドレスの美しさに目を見張ったり、そんな若い女性らしい感情の高ぶりさえも、英は少し距離を置いて冷静に観察し巧みな描写で表現する。聡明で賢い女性であったのだろう。

 富岡で働いた誇りを胸に、英は故郷の製糸工場に移り、指導者として活躍する。幼い工女たちの指導に喜びを感じ、家族の支えに感謝を惜しまない英。その姿はたのもしく、精神的な成長が感じられて嬉しい。彼女は23歳で結婚し家庭に入るまで仕事を続けた。当時の女性としては異例のキャリアだろう。

 30数年後の回想があまりに精緻で理路整然としていることに多少、違和感は感じる。しかし、賢明な彼女のことだ。輝かしい思い出を心の宝箱から取り出しては矯めつ眇めつして、記憶が古びなかったのであろう。大切な記憶はひとりの女性の生涯を支えた。

 製糸工女といえば『女工哀史』や『ああ、野麦峠』の悲惨な状況が思い浮かぶ。だが、この回想録は、全く別の一面があったことを教えてくれる。歴史史料としての価値が高いのはもちろんだが、激動の明治初期、ひとりの少女の成長物語としても楽しめる貴重な記録である。今後も永く、読み継がれて欲しい一冊だ。

(2011.06.13 ビーケーワン投稿 1037字)


マイ・ルールで800字以内と決めたのに、いきなりオーバーしています。すみません。
力不足で、どうしても、これ以上はタイトにできませんでした。

それにしても、びっくりです!
技術を覚えてもらって、その後、各地の製糸場で指導してもらおうという、目論見があった最初期の女工さん。
御雇外国人の風評被害もあり、良家のお嬢さまがメイン。来てもらっただけでありがたがられ、利益度外視の高待遇、夢のような女工ライフ。
この記録が残っていることがキセキなら、その事実もまたキセキです。

本文中でも少し触れましたが「?」な点もある、この「日記」。
まあ、三十数年後の回想ですし、思い出が美化されて、都合が悪い部分は忘れてしまうのは仕方がないとも言えます。しかも、病床の母親を励ますために書かれた(それも後付かな?)ということですから、なおさらです。
戦前には、長野県小学校修身副読本に採用されていたそうです。

後半、英は国元の製糸場で指導者として働くわけですが、ちょっと経営側に同情してしまうような場面もありました。やたら「富岡式」を主張し、よそから来た技術者のやり方を拒否して集団職場ボイコット(日本初の女工ストライキかも?)したり……。これは経営側としては扱いにくい。
これでは、プライドの高い令嬢ではなく、貧しくて前借金で縛り付けて文句言わせず酷使できる身分の女性の方がいい、という流れになってしまうのも理解できます。でも、こうした点もまたこの「日記」の貴重な一面です。
この「日記」の価値は決してゆるぎません。

余談ですが「富岡製糸場*世界遺産推進ホームページ」に、和田 英と『富岡日記』が紹介されています。工女姿のキャラクター「おエイちゃん」が愛らしい!
当時そのままの姿が保存されている富岡製糸場、一度は訪れて『富岡日記』の世界を感じてみたいです。




 
国木田独歩『武蔵野』(岩波書店・2006.02・初出1898)

JR中央線下り電車に乗るときは、ちょっとワクワクします。
新宿駅を過ぎ、遠ざかる高層ビル群を見送って、しばし…。
ある瞬間、遮断されていた視界が一気に晴れます。
高架を走る電車からの眺めは一変。
見渡す限り、どこまでも一面の住宅地に…。二階家の一戸建てがびっしりです。
その風景は、凪いだ海のよう。
わかっていながら、いつも何だか嬉しくなる。
「ああ、ムサシノだ…」と感慨しみじみです。

目を閉じて、100年前、独歩が歩いたころの武蔵野を想像してみます。
この凪いだ海がすべて雑木林で、ぽつぽつと小島のように農家が点在していたのかなあ…。
目印になるような高台や建物は、何もありません。
まさに、迷宮に入り込んだような気分だったでしょう。

以下、ビーケーワンに投稿した書評です。


 東京都心を囲むように広がる武蔵野。緑豊かで閑静な住宅地が広がる、典型的な大都市近郊エリアだ。

 明治31年(1898年)独歩27歳のときの作品である。渋谷に住んでいた当時、近隣を取材して書かれたという。そのころの武蔵野はさらに広い。渋谷はもちろん、白金や目黒も、雑木林に埋もれた武蔵野エリア内だったというから驚く。

 日記とも随筆とも小説ともとれる、不思議な作品である。型にはまらず、自由なのだ。

 季節は晩秋、独歩に誘われるまま、武蔵野台地に足を踏み出してみよう。落ち葉を踏みしめる感触が心地よい。歩きながら、ツルゲーネフや二葉亭四迷を引用し、外来の新しい自然観や人間観を爽やかに語る独歩。よくわからないが、なんとなく、うなずいておこう。これまでの古い価値観を見直そうよ!君!という独歩の意気込みがじわじわと伝わってくる。常緑樹の松より落葉樹が趣があるよ、北海道より身近な武蔵野の自然がステキだよ、都会人よりは郊外で生きる農民に親しみを感じるなあ、という具合だ。

 明治の新青年に向けられたことばが、平成の疲れた現代人の心にも柔らかく響く。すがすがしさが広がる。高い空のどこかで鳥の鳴き声がかすかに聴こえた。今日は幸運だ。

 都会的な便利さと自然のなごみ感がほどよくミックスされている街っていいよね、独歩のこの感覚は卓見だ。
 「郊外の林地田圃に突入する処の、市街ともつかず宿駅ともつかず、一種の生活と一種の自然とを配合して一種の光景を呈しいる場処を描写することが、頗る自分の詩興を喚び起こすも妙ではないか。」(30-31頁)
アンケートで東京の住みたい街上位に必ずランクインする、吉祥寺や自由が丘の魅力そのものである。

 難しいことは考えずに、ヒーリング・ガイド・ムサシノとして楽しみたい一冊。本書片手に武蔵野散歩、道に迷ったら、どこかで独歩と巡り合えるかもしれない。

(2011.06.05 ビーケーワン投稿 793字)


皆の目が外国へ、新しいモノへ、機械化へ、と向いていたであろう時代。
足元の美を唱えていた、27歳の独歩の感性は本当に素晴らしいと感服します。

本当は親愛を込めて、独歩アニキと呼びたかった…。
フザケた書評と思われたくなくて、自粛してしまいました。

青年を啓蒙したくて仕方ない外国文学かぶれの独歩アニキ。ちょっと微笑ましい。
でも、さらりタッチで押付けがましくないんですよね。どこまでも弁舌爽やかです。
永遠の啓蒙アニキ独歩。

独歩アニキによると、時代によって武蔵野エリアは変化するらしい。
今の武蔵野ってどこでしょう?武蔵野市?武蔵〇〇駅のあるところ?
いずれにせよ、今の武蔵野では迷って可憐な乙女に道を尋ねることは、もうできないですね…。



 
田山花袋『蒲団・重右衛門の最後』(新潮社・1952・初出1907)

あらすじはずっと前から知っていたものの、永いこと、まったく読む気になれなかった小説です…。そういう方、多いのではないでしょうか?
不安を感じつつ読み始めましたが、意外にも!楽しめてビックリでした。
大丈夫です。イケます。不気味小説じゃないですよ!

以下、ビーケーワンに投稿した書評です。


 最初から恐縮だが、中島京子『FUTON』(講談社)あとがき、より引用したい。 
 「誰もがその名を知っているのに、今日ほとんど人に読まれない。田山花袋の『蒲団』は、そういう小説の一つだと思う。」

 まさにその通り!「中年作家が女弟子の蒲団に顔を埋めて泣く」シーンが広く知られていることが、逆に「読まず嫌い」をまねいているのだろう。約100年前の小説だが、主人公の中年作家、時雄は花袋本人であり、彼が想いをよせる女弟子の芳子やその恋人も実在したということだ。

 「自然主義」「私小説の始まり」とされるこの小説は「露骨なる描写」が徹底されている。一人前のオトナとして、考えた素振りさえ見せてはならないようなことが、すべてあからさまに描かれるのだ。
家庭生活に飽きて通勤途中で見かける女教師に対し「細君が懐妊しておったから、不図難産して死ぬ、その後にその女を入れるとしてどうであろう。」(14頁)とヒドイ想像をしたり、芳子と恋人に肉体関係があることがはっきりすると「自分も大胆に手を出して、性慾の満足を買えば好かった。」(96頁)と思い悶えてみたり。
全編に吹き荒れる中年オトコの妄想の嵐・・・。

 だが、読んでいて、不思議と嫌悪感はない。むしろ、滑稽さと哀しさがただよう。
外づらがよく、人から良く思われたくてたまらない、お人好しの時雄。よくいるタイプだ。
芳子にいい顔をしたいがために理解者ぶりながら空回りし、自分で自分を窮地に追い込んでいく。
そのダメぶりには思わず「日本男子たるもの、一家を構えながらなんたる破廉恥!」と明治ことばで意見のひとつもしたくなるが、同時に肩を叩いて「お父さん、がんばって!」と励ましたくもなるのだ。

 重要なポイントは時雄の妻であろう。妻の存在がこの小説にミステリーめいた奥行を与えている。
ただ「細君」と呼ばれるだけで名前さえも出てこないが、良妻賢母の典型で登場人物の中でもっとも良識派だ。
読者の共感は、ほぼ100%彼女に集まるだろう。彼女は夫の妄想も芳子の乱れた交際の実態もすべて承知だったのではないか?
 この小説は、花袋の妻への懺悔の告白だったとも思えてくる。「散々迷惑かけてスマン、でもオレは(妄想しただけで)やましいところはない、オマエ一筋だよ」というメッセージかも、と想像がふくらんだ。恥を世間に晒して、かえって迷惑だったろうとは思うが。

 表向きには特別なドラマは起きない。
不倫もなし、離婚もなし、駆け落ちも、できちゃった婚もない。すべては未遂に終わる。
一見、平穏に見える日常に、たくさんの大事件の「未遂」が含まれている現実、「露骨なる描写」をされたのはそこだ。そこに、100年たっても古びない面白さがある。
実話だとかモデルが誰とか、妙な先入観なしに読んでみたかった。

 読み終えると、疑問が頭の中で渦巻く。これは本当に実話なのか?どこまでが本当で、どこからがウソなのか?
気がつくと『蒲団』のナゾを考えてしまう。こんなに後を引く「読みもたれ」のする小説も珍しい。
恐るべし『蒲団』!

 本書読了後に、冒頭で引用した中島京子『FUTON』を読まれることをお勧めする。
この小説の「本歌取り」であり、リスペクトに満ちた傑作だ。

(2011.06.01 ビーケーワン投稿 1368字)


冒頭から他著を、しかも「あとがき」を引用するのは、よくなかったなと反省。
というか、この書評、何が言いたいのやら、まとまりがなさ過ぎて全部反省です…長すぎるし。
論旨明解ですっきり爽やかな短文が書けるようになりたいなあ。

中島京子さんの『FUTON』(フートン)がある今、『蒲団』に物申すことはもはや何もないのですよね。そんな中、あえて挑んでみましたが、結果は上記の通り、惨敗です…。
少し時間をおいてアタマを冷やしてから再挑戦しようかな。もう投稿はできませんが。

新潮文庫の表紙が「萌黄唐草」&「紺色のリボン」の組み合わせで、なんともステキです♪
表紙だけ見ると、ステキな乙女小説?みたい。
内容知らずに、表紙買いするヒト、いるんじゃないですかね!読んでビックリだろうけど。




 

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導在 あわい

Author:導在 あわい
ドーザイ アワイ と申します。
ワケあって時間がたっぷり。いつかは読みたいと願っていた名作の数々…いますぐ、読むことにしました!
名作以外もどしどし読む予定。
楽しい読書録を目指します。

日本の名作 (20)
古典 (3)
明治の名作 (5)
大正の名作 (3)
昭和の名作 (8)
平成の名作 (1)
一般書 (40)
美術 (10)
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文章修業 (2)
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そのほか (6)
文学の旅 (2)
博物館&美術館 (7)
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TRCブックポータルに書評を投稿しています(2013.01~)。
ハンドルネームは*導在あわい*です。
「TRCブックポータル」は2016.03をもって運営終了されました。

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また、2012.12までの書評は書籍と電子書籍のハイブリッド書店【honto】(旧;オンライン書店ビーケーワン)でも閲覧可能です。
当時のハンドルネームは*辰巳屋カルダモン*です。
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書評の鉄人*に選ばれました。
bk1-00232(2011.08.19付)
* 第297回 書評の鉄人列伝 で紹介されました(2011.09.30付)。

自分なりのルールを考えました。
こちらをご覧ください!


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